※2014年11月28日メルマガバックナンバー
どうも、大島享です。
むかーし、むかーし
あるところに、大島享という
1人の男がいました。
大島は、甥っ子、姪っ子が
憎い、憎い、憎くてたまらない。
その真実の物語です。
その男は、大学を卒業して
就職もせず
税理士受験に精を出していました。
生活最低限の、仕事をして。(もち、正社員じゃない)
郊外の3万7千円の
お家賃のアパートに住んで
食べるものは
スーパー閉店間際の
見切り品
「◯◯円引」シールのおかず
実家の母が送ってくれる
お米を炊いて、暮していました。
たまの外食は
当時の彼女の奢りです。
年下の彼女に、
ファミレスで奢ってもらう・・・。
毎日10時間くらい
税理士試験の勉強に
精を出していましたので
それはしかたないのですが
特に
悲壮感があったわけではなく
目標に向かって、
直向きに努力をしていたので
それは、それで楽しかったです。
しかし。
毎年この時期だけは困りました・・・。
それは『正月』
我が父は、長男なので
親戚がたくさん、実家にやってきます。
そして、
甥っ子、姪っ子も来ます。
そして、
そして、
お年玉をせがまれます。
僕は、特急電車代をケチって
各駅電車で田舎まで帰ります。
(2500円くらい安い)
そんな僕に
容赦なく「お年玉」頂戴と迫ってくるのです。
もちろん、上げないわけには行きません。
小さい子は、1000円
小学生は、3000円
×何人も・・・。
なぜか、大島家のしきたりでは、
この値段なので、大島家のしきたり通りに払うのです。
甥っ子、姪っ子が「憎い」
と
そこまではいかずとも、
嫌だなーと言うのが
その頃の僕の本音でした。
なので、実家から足が
遠のいたりもしました。
今は、笑顔でお年玉をあげられます。
孫の顔を、見せると両親も喜ぶので、
積極的に実家に帰るようになりました。
両親にも、お年玉を
あげたいくらいなのですが
まだ、まだ現役で、
商いをしているので
プライドもあって
受取らないでしょう
というより、
「享、仕事大丈夫か??」
お年玉あげようか
といまだに言われます。笑
ふと、昔の事を、思い出したので、
メールを書いてみました。
追伸:
今だに、1人で帰省するさいは、
各駅電車にのっています。
2500円くらい安いので。